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破・常識 あつし

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牛王神符・日本第一の真実の意味!

今日の 破・常識!


権力支配の歴史の中で 複雑に絡んでしまった神話と神社!


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 91


今日は、まず 熊野の「牛王神符・日本第一」の意味について・・・


熊野牛王 または 宝印神符ともいうらしいですね。

カラス文字で書かれた熊野山独特の御神符です。

熊野本宮大社でも その起源は明らかになっていないみたいです。

カラス文字の数が 三山(本宮 新宮 那智各大社)

それぞれ 異なっています。

このご神符は 鎌倉時代には誓約書となり

江戸時代には起誓文の代わりとして用いられた。

古くから 熊野権現への誓約を破ると 熊野大社の使いであるカラスが

一羽なくなり 本人も血を吐き 地獄に落ちると信じられてきたそうです。

符の中央に 「日本第一」の文字が記されているのですが 

これは 熊野三山が奈良時代に孝謙天皇より

「日本第一霊験所根本熊野三所権現」の

称を奉られたことに由来するとある資料に書いてありました。


まぁ、一般的には このような認識だと思いますが・・・・


と言うことで さくやさんに聞いてみました。

まず 「牛王」なんですが・・・異形のものを表しているそうです。

元々 地球に存在した異次元の者たちのことです。

たとえば 自然霊たち 

木の精 水の精 など 目に見えない存在たちです。

その地球にいた異次元の存在を使いの者として 

使ったのがナーガ(半身蛇族)の宇宙人です。

つまり 宇宙人であるナーガ(半身蛇族)が日本を支配するために

使いの者として使った異次元の存在に

「牛王」と名づけたということです。



次に 「日本第一」なんですが・・・

これは ナーガ(半身蛇族)が日本を支配する時に 

人々に 尊敬される特別な存在としての”神”を作りたかったのです。


そのために 「古事記」「日本書紀」を自分たちの都合のいいように

創作して 結局 日本の権力支配者として 現人神を作ったのです。

神(ナーガ)と 人との間に生まれた存在を 現人神とし、

その神(宇宙人 ナーガ)の高貴な血を引く現人神が 神の代理として

人々を導く存在であると 刷り込んでいったのです。

そして その現人神が世界の始まりとし 

日本の現人神が世界の支配者になるとしたのです。

そうすることで 人々に高貴な特別な存在として 

尊敬するよう仕向けたのです。

「日本第一」には そういう意味が込められているそうですよ。


ちなみに ナーガは 宇宙人を神にして 

尊敬する存在に仕立て上げましたが、

レプティリアン(爬虫類人)は 

神を恐怖の存在として人々が怖れるように仕向け 

支配していったのです。


これが 西洋文化の神(レプティリアン)と 

東洋文化の神(ナーガ)の違いなのです。


次に 「ニギハヤヒ セオリツヒメ」について・・・


ニギハヤヒ セオリツヒメ は、さくやさんと同じ 

5次元の存在で仲間なんですよ

ドラコニアン(水棲龍族)です。

ただ 「古事記」「日本書紀」に書かれているのは 

何度も言いますが ナーガ(半身蛇族)が日本を支配するために 

都合のいいようにでっち上げて創作したものなので 

そこに書かれてある神話は全くのデタラメです。

そこを踏まえて・・・江戸時代の人々は 

縄文人たちに近い感覚があったので

自然の物すべて 山 海 川 木 石 などに 

それぞれ魂が宿っていることを認識していました。

だから それぞれに 尊敬の念を持っていたのです。

もちろん ニギハヤヒ セオリツヒメ と言う存在に対しても 

尊敬はしていましたが

決して 現在みたいな 神様と言う認識は持っていなかったのです。



徳川家康は、世良田二郎三郎が

途中で入れ替わったという説について・・・


事実じゃないみたいですよ・・

徳川家康は 生まれてから死ぬまで

誰とも入れ替わってはいないそうです。




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傾奇者・前田慶次の本当の顔!

今日の 破・常識!


歴史上の人物のキャラクターは 真実なのか?



テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 90



今日は、前田慶次について・・・


前田慶次・・・


前田利益は 戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将

現在では 一般に前田慶次 / 慶次郎 の名で知られる。

滝川一族の出身で 前田利家の義理の甥、

現在 流布している前田慶次の人物像は

「上杉将士書上」や「常水紀談」「可観小説」「翁草」の逸話、

明治~昭和にまとめられた「加賀藩資料」

「前田慶次道中日記」などを基礎にして

隆 慶一郎の小説「一夢庵風流記」、

それを原作として 原哲夫の漫画「花の慶次」

によって 広く知られている  (Wikipedia より)


私も「花の慶次」 何年か前に読んでましたぁ~~

いやぁ、面白かったです。

前田慶次 むちゃカッコイイんです。

この漫画を読んでる時 前田慶次が実在した人物だとは 

全然思っていませんでした(汗)。


で、さくやさんに聞いてみたら・・・

「前田慶次という武将はいるけど 

あなたが話すようなキャラクターじゃない」って・・

ということは 実在した前田慶次はいろいろな資料や小説などで

キャラクターを作りかえられてしまったみたいです。

身の丈 六尺五寸(197cm)はあまりありえないですよね(笑)

エピソードも本人のじゃない 他のいろんな方々のエピソードを

慶次のエピソードとして語られているんですね。

前田慶次 本人はそんな傾奇者でなく 

背丈も普通で そんなに目立つ人物じゃ

なかったということです。

ご本人には 申し訳ないけど・・・

マンガの前田慶次は かなり作られたキャラだけど 

話は面白いし カッコイイから

それで楽しめばいいと 私は思っています。


次に 平将門について・・・

平将門は江戸の守護神だったというか・・されちゃったみたいですね。

支配権力に反乱を起こした平将門は 

強い波動(エネルギー)を持っていました。

その波動(エネルギー)により 権力側は 平将門を恐れたのです。

そのために 死後もその怒りのエネルギーを感じ 

それを封じ込めるために神社を建て 

そこに結界を張り 中に押し込めたのです。

それが 意味が違って伝わり 

今では神様として 神社に奉られているのです。


今現在では 神社・・という名前で 

すべてがいっぱひとからげに思われていますが、

実は 神社にもいくつかの種類があるそうなんです。

その中の一つに このようなエネルギーを閉じ込めるための

結界を成している神社もあるんだって・・

さくやさんが教えてくれました。

だから 神社って呼ばれているからって 

安易にお願いごとをしないほうがいいですよ。

っていうか、神社は そもそも

お願いごとをするところではないらしいですからね~~

平将門は 江戸の守護神じゃないですから!


平将門については 過去記事 

「武士の起源」 でも触れていますのでお読みくださいね。




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権力の象徴 大坂城!

今日の 破・常識!


本当に いろんな情報が入り乱れている昨今!


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 89



大阪城について・・・



現在の大坂城は 元の場所に建てられていない・・・

という説があったんですねぇ~~、私もはじめて知りました。

ということで、いろいろ調べてみたんですが・・・


家康が 元の場所ではない現在の場所に大坂城を再建した・・・

という説でしょうかねぇ~~??


この説は 真実ではないそうですよ。


1615年 大坂夏の陣で 大坂城は落城し 豊臣氏は滅亡しました。

その後 2代将軍秀忠によって 大坂城の再建がはじめられ

1629年に完成しました。

その大坂城は 元の場所に建てられています。


もともと 織田信長の意志を継いで天下人になった秀吉でしたが、

晩年 精神性が薄れ 権力の象徴として大坂城を建てたんです。

その後も 豊臣家の権力を手放したくない

淀殿などの執着の強い波動(エネルギー)が

城を覆っていました。

徳川家康は その権力の象徴となった大坂城を 

そのままこの地に残すわけには いかなかったのです。

家康が考える城とは、その地域や藩の庶民に

安心感を与えるものでなくてはならなかったのです。


家康は 皆が愛と調和で 仲良く楽しく暮らせる国作りを意図しました。

だから 心を鬼にして

豊臣家の権力の象徴である大坂城を落城させたのです。

そして 元の場所に 大坂城を再建しました。

江戸幕府にとって 大坂は江戸に並ぶ重要な都市でした。

だからこそ 権力の象徴ではないお城を建てたのです。




それから、豊臣秀吉は朝鮮出身という説があるそうですが・・・ 


秀吉は 日本人です。

まぁ、ほとんどの日本人がレプティリアンや

ナーガの宇宙種族のDNAを持っていますけど・・・

秀吉は 縄文の波動を思い出したサンカですので 

日本人だと言っていいと思います。




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日光東照宮の真実!

今日の 破・常識!


安心感という(波動)エネルギーは 何よりも強い!


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 88


最近 日本神話や八百万の神 神社 について質問されることが

多くなってきました。

さくやさんの話では 真実とは

かなりかけ離れた話になっているみたいです。

いろんな情報が入り乱れ とても複雑なことになっています。

整理出来たら 記事に書いてみようと思っています。


で、今日は 日光東照宮の真実をお話しします。



まずは 資料を調べてみると・・・

日光東照宮

関東地方北部 栃木県日光市に所在する神社。

江戸幕府 初代将軍 

徳川家康を神格化した東照大権現を祀る。

東照宮の本社的存在

徳川家康は 1616年 駿府(静岡)で死去。

遺命によって 遺骸は直ちに駿河国の久能山に葬られ

同年中に久能山東照宮の完成をみたが

1617年 日光に改葬された。

家康が日光に祀られることになったのは 

家康本人の遺言からである。

家康は 遺言中に「遺体は 久能山に納め、(中略) 

一周忌が過ぎたならば日光山に小さな堂を立てて 勧請し

神として祀ること、そして 八州の鎮守となろう」

と述べている。       (ウィキペディアより 一部抜粋)



ということになっていますが・・・

さくやさんに聞いてみました。

まず 徳川家康本人が 

神格化されることを望んだわけではないそうです。

ここでも 情報がすり替えられていますね。

ではなぜ 久能山東照宮から 日光東照宮に改葬されたのか?


実は この頃 江戸に向けて北の方角から 

低い波動(魔的なエネルギー)が流れ込んで来たのです

それを 察知していたのが 過去記事 でも書いた

江戸城や姫路城の設計を担当した人物です。

彼は 波動(エネルギー)の流れを読むのに長けていたので 

北から江戸に流れ込む波動を感じ 

この波動から江戸を守らなければならないと思ったのです。

そこで 彼は 徳川家康を久能山から 

日光に改葬することを進言しました。

日光に 家康を埋葬し 江戸を守ろうとしたのです。


ではなぜ 家康を日光に改葬することが

江戸を守ることにつながるのか?

江戸から 北の方角にある日光に家康を改葬することで 

江戸の庶民に対し

家康が守ってくれているという安心感を与えたのです。

その頃の 江戸の町では いろんな災いが立て続けに起こり

庶民たちは 不安な生活をしていたのです。


そこに 江戸の庶民の心の支えである 

徳川家康が亡くなったことは皆にとってショックな出来事でした。

しかし その家康が日光に葬られることにより 

亡くなってもまだ 自分たちを守り続けてくれている・・

という安心感を持たせることが出来たのです。


その安心感という庶民の波動が 

北から流れてくる魔的な波動を打ち消し

江戸の町は 守られ続けることになったのです。


う~~ん、これはすごい!

それほどの安心感を庶民に与える家康という存在の大きさに

今更ながら 驚きました。


その後 明治維新になり 日光東照宮も本来の目的から離れ 

いろんな手が加えられるようになりました。

結局 明治維新での

権力者の都合のいいような形に持っていかれたのです。

そのために 家康が神格化され 現在に至るわけです。




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アイヌ民族と松前藩の真実!

今日の 破・常識!


微妙な表現で書かれてある歴史の資料!


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 87


今日は アイヌ民族と松前藩について さくやさんに聞いてみました。

資料を調べてみたら 微妙な表現で

かなり真実が隠されているように思います。

いろんなブログで 真実に近い情報もありました。


今日は とても難しい問題で 

表現もかなり微妙になると思いましたので

さくやさんに協力してもらいました。

淡々と 真実を お伝えいたします。




むかし 下がってしまったテラの波動を軽くするために

テラの中に住んでいた ムー大陸の子孫たちが 戻ってきて 

日本周辺に住むことになりました。

それが 縄文人たちです。

その人達は 100人くらいの村を作って 

日本の各地に住み始めたのです。

そして 北海道に住んでいた縄文人たちが 

のちにアイヌ民族と言われる人たちです。

沖縄あたりに住んでいた人達は 琉球民族と呼ばれていました。


さて 江戸時代になって 北海道にも幕府の藩が出来ました。

それが 松前藩です。

松前藩は 国内の大名とすこし違って 土地を持っていませんでした。

国内の大名は 土地を所有し 

そこで出来たお米を収入としていましたが、

そのようなお米がとれるような土地を持っていなかった松前藩は 

北海道で取れる産物を 交易することで

収入を得るという権利を許されたのです。

それも 独占的に 松前藩だけに許された権利でした。


その頃 アイヌの人たちは あまりお米を作らず 

もっぱら昆布や鮭 ニシンなどの海産物を捕り 生活をしていました。

幕府は そのアイヌの人たちの海産物(主に昆布など)を 

国内でも消費させたいと思いました。

そこで 松前藩に アイヌの人たちとの交易を任せたのです。

松前藩は アイヌ民族の海産物と 

国内で出来たお米や布などと交換しはじめました。


ここで 他の大名と違うところは 他の土地を持っている大名は 

その領内に住んでいる 領民を守るという使命があったのですが、

松前藩に関しては土地を持っていませんでしたから

アイヌの人たちは 藩の領民という立場ではなく 

あくまでも交易相手だったのです。

ですので アイヌの人たちを守るという考えも起きてきませんでした。


幕府は 北海道を植民地のようには考えておらず 日本国の一部として

そこに住むアイヌ民族にも 大切な国民として敬意を払っていましたが、

年月を経るうちに 松前藩の藩士たちの考え方は違ってきました。


アイヌ民族は 縄文人の血を引く人たちですから 

人を疑うということをしません。

個人所有という概念はなく すべての産物は 

アイヌたちで共有するという意識の元

長い間生活をしてきた人たちですので、

物々交換というやり方にもなれていなかったのです。


そこで その素朴なアイヌの人たちの

習性を知った松前藩の藩士たちは、

どんどん 自分たちの都合のよい交換方法を

押し付けるようになっていったのです。

最初に決めた 鮭100本と米一表という比率が 

時間が経つにつれ 米のほうの量が減らされていき、

最終的に半分以下にまで一方的に不平等交換レートを設定し、

アイヌの人を苦しめていきました。


そこに 松前藩と商売をしていた大阪商人が 

船で買い付けに来るようになってきたのです。

素晴らしい海産物は とても良い商売になりましたので・・

たくさんの商人たちが、海産物を求めて やってきました。


商売などを知らないアイヌの人たちに 勝ち目はありませんでした。

気が付くと 不平等な交易を押し付けられるようになっていき、

ほとんど植民地のように扱われはじめたのです。


時々 その不平等な交易に対して 抗議する人たちも現れましたが、

武力で押さえつけられ 我慢するしかなくなっていったのです。

そのうえ その豊かな漁場を 

アイヌたちから奪おうとする人たちも出てきました。

土地や海を奪うために アイヌ民族を

消滅させる方向へ 考え始めるのでした。

アイヌ民族の文化を奪うために 子供たちを親から引き離し 

自分たちの文化を教え込み 

アイヌの伝統をなくそうと画策したのです。


幕府は アイヌ民族を日本の国民として考えていましたが 

幕府の中心から遠いことをいいことに 

松前藩の藩士と商人たちは 幕府の意向を無視し、

尊敬の気持ちなど持つことを忘れ 

都合のいいようにふるまっていました。


同じ縄文の血を引く琉球民族は 

琉球国という体制を持っていましたので、

このような扱いは受けませんでしたが 

アイヌ民族は国を持っていなかったために侵略され 

民族の伝統 文化までも奪われることになってしまったのです。

アメリカインディアンと同じ道をたどりました。


今でも まだ アイヌの人たち(アイヌ民族)への 

偏見はなくなっていません。

インディアンたちもそうですが 

ただ 自分の土地で平和に暮らしていただけなのに、

後から来た人たちが 我が物顔で自分たちの土地を奪い 

そして 自分たちをどんどん 追いやっていくのです。

そして 人間としての尊厳さえ 奪われていったのです。


松前藩の人たちがすべてそうであったとは思いません。

松前藩の一部の人たちの行為であったと思っています。

しかし 今でも 松前藩の行為に対して 

真実を話されることはあまりありません。




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