今日の 破・常識!
微妙な表現で書かれてある歴史の資料!
テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 87
今日は アイヌ民族と松前藩について さくやさんに聞いてみました。
資料を調べてみたら 微妙な表現で
かなり真実が隠されているように思います。
いろんなブログで 真実に近い情報もありました。
今日は とても難しい問題で
表現もかなり微妙になると思いましたので
さくやさんに協力してもらいました。
淡々と 真実を お伝えいたします。
むかし 下がってしまったテラの波動を軽くするために
テラの中に住んでいた ムー大陸の子孫たちが 戻ってきて
日本周辺に住むことになりました。
それが 縄文人たちです。
その人達は 100人くらいの村を作って
日本の各地に住み始めたのです。
そして 北海道に住んでいた縄文人たちが
のちにアイヌ民族と言われる人たちです。
沖縄あたりに住んでいた人達は 琉球民族と呼ばれていました。
さて 江戸時代になって 北海道にも幕府の藩が出来ました。
それが 松前藩です。
松前藩は 国内の大名とすこし違って 土地を持っていませんでした。
国内の大名は 土地を所有し
そこで出来たお米を収入としていましたが、
そのようなお米がとれるような土地を持っていなかった松前藩は
北海道で取れる産物を 交易することで
収入を得るという権利を許されたのです。
それも 独占的に 松前藩だけに許された権利でした。
その頃 アイヌの人たちは あまりお米を作らず
もっぱら昆布や鮭 ニシンなどの海産物を捕り 生活をしていました。
幕府は そのアイヌの人たちの海産物(主に昆布など)を
国内でも消費させたいと思いました。
そこで 松前藩に アイヌの人たちとの交易を任せたのです。
松前藩は アイヌ民族の海産物と
国内で出来たお米や布などと交換しはじめました。
ここで 他の大名と違うところは 他の土地を持っている大名は
その領内に住んでいる 領民を守るという使命があったのですが、
松前藩に関しては土地を持っていませんでしたから
アイヌの人たちは 藩の領民という立場ではなく
あくまでも交易相手だったのです。
ですので アイヌの人たちを守るという考えも起きてきませんでした。
幕府は 北海道を植民地のようには考えておらず 日本国の一部として
そこに住むアイヌ民族にも 大切な国民として敬意を払っていましたが、
年月を経るうちに 松前藩の藩士たちの考え方は違ってきました。
アイヌ民族は 縄文人の血を引く人たちですから
人を疑うということをしません。
個人所有という概念はなく すべての産物は
アイヌたちで共有するという意識の元
長い間生活をしてきた人たちですので、
物々交換というやり方にもなれていなかったのです。
そこで その素朴なアイヌの人たちの
習性を知った松前藩の藩士たちは、
どんどん 自分たちの都合のよい交換方法を
押し付けるようになっていったのです。
最初に決めた 鮭100本と米一表という比率が
時間が経つにつれ 米のほうの量が減らされていき、
最終的に半分以下にまで一方的に不平等交換レートを設定し、
アイヌの人を苦しめていきました。
そこに 松前藩と商売をしていた大阪商人が
船で買い付けに来るようになってきたのです。
素晴らしい海産物は とても良い商売になりましたので・・
たくさんの商人たちが、海産物を求めて やってきました。
商売などを知らないアイヌの人たちに 勝ち目はありませんでした。
気が付くと 不平等な交易を押し付けられるようになっていき、
ほとんど植民地のように扱われはじめたのです。
時々 その不平等な交易に対して 抗議する人たちも現れましたが、
武力で押さえつけられ 我慢するしかなくなっていったのです。
そのうえ その豊かな漁場を
アイヌたちから奪おうとする人たちも出てきました。
土地や海を奪うために アイヌ民族を
消滅させる方向へ 考え始めるのでした。
アイヌ民族の文化を奪うために 子供たちを親から引き離し
自分たちの文化を教え込み
アイヌの伝統をなくそうと画策したのです。
幕府は アイヌ民族を日本の国民として考えていましたが
幕府の中心から遠いことをいいことに
松前藩の藩士と商人たちは 幕府の意向を無視し、
尊敬の気持ちなど持つことを忘れ
都合のいいようにふるまっていました。
同じ縄文の血を引く琉球民族は
琉球国という体制を持っていましたので、
このような扱いは受けませんでしたが
アイヌ民族は国を持っていなかったために侵略され
民族の伝統 文化までも奪われることになってしまったのです。
アメリカインディアンと同じ道をたどりました。
今でも まだ アイヌの人たち(アイヌ民族)への
偏見はなくなっていません。
インディアンたちもそうですが
ただ 自分の土地で平和に暮らしていただけなのに、
後から来た人たちが 我が物顔で自分たちの土地を奪い
そして 自分たちをどんどん 追いやっていくのです。
そして 人間としての尊厳さえ 奪われていったのです。
松前藩の人たちがすべてそうであったとは思いません。
松前藩の一部の人たちの行為であったと思っています。
しかし 今でも 松前藩の行為に対して
真実を話されることはあまりありません。
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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術