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破・常識 あつし

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豊臣秀吉の天下統一への道!

今日の 破・常識!


戦国一の出世頭 秀吉は信長のシナリオ・・・だが!


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 51


信長の真実の野望! 14


信長は理想の国づくりのために 自分の存在を消し

後のすべてを秀吉に託したのです。


それにしても 信長という人間の発想は面白いですねぇ~~

天下統一まで あと一歩のところまで上りつめて 

すべてを他の者に託しちゃうんだからぁ~~

自分の夢を大切にして 個人的な欲や執着がまるでないんですから 

本当にすごい人です。

思ってはいても その立場になると 

人間が変わるなんて よく見る光景ですから・・

現代の政治家なんか よくあるケースですよね!

権力持っちゃうと 初心を忘れちゃう・・というケース(笑)


そして 人に任せたら その人間を信じ切る。

信長は 秀吉なら天下統一し 

理想の国づくりをやってくれると 信じ切っていました。

しかし 信長は 秀吉に細かい指示は全然出していないんです。

二人の間には 共有する基本の理念があっただけです。


秀吉は 長年 信長に仕え 信長が今 何を考え 

そして自分は何をすればいいのか?

いつも考えてきたのです。

秀吉は 他人のエネルギー(波動)を読むことが出来たんです。

だから 信長も細かい説明なんかしなくてよかったんです。

トラブルが起きても 瞬間的に 直感がひらめき 動けるんです。

その秀吉の直感には さすがの信長も一目置いていました。

直感とは・・・ハイヤーセルフのアドバイスメッセージですね。

ハイヤーセルフのメッセージを受け取れる、ということは

素直な人だっていう事ですね・・秀吉は。

そして 何かのトラブルに巻き込まれても 

そのことに振り回されない余裕というか

その先のことを考えられる 俯瞰の目を持っていた・・ということです。

何より アクシデントがあっても 

否定的な感情(波動エネルギー)を出さないで

自分は必ず乗り越えられるという前向きな感情を 

常に持っていたのです。

そんな秀吉だったからこそ 

信長はすべてを託すことができたのです。


信長がやってきたこと 考えていたことを 

秀吉はずっとそばで見てきて理解していました。

しかし 信長が消え去った後 実際に人を動かし 

理想の国づくりを 進めていくのは 秀吉なのです。


現代の資料にも 秀吉が行った仕事の記録は残されています。

その仕事を 秀吉がどのような気持ちで行い 

天下を統一し 国づくりを進めていったのか・・を、

この先 お話ししようと思います。

次回からは 信長の真実の野望(秀吉編)を お送りしま~~す(笑)



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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

続・本能寺の変!

今日の 破・常識!


信長が消え去る時!


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 50


信長の真実の野望! 13


ドラマ「本能寺の変」 開演のベルが鳴ります


時は 1582年 5月

織田信長は 明智光秀が甲州征伐から帰ってくると

15日から 17日まで 安土城において 武田氏との戦いで

長年 労のあった徳川家康の接待役を命じました。


(この時 3人で信長の理想とする国作りのためのシナリオの

最終確認をしていたのです)


家康の接待が続く中 備中高松攻めを行っている秀吉の使者より

援軍の依頼が届きます。


信長は すぐに 光秀の接待役の任を解き

秀吉への援軍に向かうよう命じました。

(秀吉は 信長から 前もってシナリオを聞かされていて

家康の接待の期間に 

援軍の依頼の使者を送ることを決められていたのです)


29日に 信長は 中国遠征の出兵準備のために上洛し 

本能寺に逗留していました。


6月 1日の夕方

光秀は 1万3千人の手勢を率いて出陣

6月 2日 未明

秀吉への援軍を命じていたはずの明智軍が 桂川を渡ったところで

光秀の「敵は 本能寺にあり!」 という宣言により京都に 進軍。

2日 早朝 

明智軍は 本能寺を完全に包囲

光秀 配下の下級武士たちは 本能寺の敵が誰なのか、

本当のことを知らされないまま

攻撃することになる。


信長は 状況を見て 本能寺に火を放たせ しばらく様子を見た後

お濃 小姓 女衆たちとともに 本能寺から抜け出す。

本能寺から 前もって予定していた道を通り 長野の山奥へ向かう。


その後 光秀が信長を討ったことを宣言する。


本能寺の変で 信長が討たれたことを聞いた秀吉は

中国地方から引き返し(中国大返し)

明智軍との戦いがはじまる。


明智軍は 敗退し 

光秀は自刃したことにして 生き延びることになります。


家康は この戦況をじっと見守り続けました。

ここに 秀吉が信長の意志を継ぎ 

天下人となる状況が出来上がったのです。


光秀は 密かに 生き延び 天海和尚として 秀吉の天下統一、

その後の 新しい国作りを陰ながら見守っていたのです。


家康は 表向きは秀吉に仕える身として 見守っていました。


信長は 後のすべてを秀吉に託し 

長野の山奥で お濃と周りの小姓、女衆らと

ゆったり のんびりと余生を過ごしていました。

(秀吉たちの情報は 天海和尚から 聞いて情勢は掴んでいました)


さて 豊臣秀吉の天下統一が成し遂げられ 

秀吉による新しい国作りが はじまるのです。

だがしかし・・・


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本能寺の変!

今日の 破・常識!


時は 今 天が下知る 五月哉!


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 49


信長の真実の野望! 12


1582年 

織田信長は 京を中心とした畿内とその周辺を手中に収め 

武田氏を滅ぼしまた 関東の後北条氏、東北の伊達氏 

九州の大友氏は 信長に恭順する姿勢であった。

これで 残る信長の敵は

中国の毛利氏 四国の長宗我部氏 

北陸の上杉氏 九州の島津氏 となった

毛利氏は 秀吉の働きにより 勢力を失いつつあり

上杉氏は 謙信亡き後、軍団は勢いを弱め 

島津氏は 九州の中にあって、

単独で信長に対抗せざるを得ない情勢だったのです。


信長は 動きました!

時は 今 だったのです。


信長 49歳

このまま 順調に進めば 天下は信長のものになる・・・

皆が そう信じている状況の中 

信長は自分が消え去る選択をしたのです。

それはなぜか?

信長は 考えました。

自分が 自分が完全に天下を取ってはいけない。

理想とする新しい国作りのためには 信長自身ではなく 

家康、光秀 でもない・・

農民出身の秀吉が 自分の残した仕事をやり遂げ

天下人にならなければならない。・・そう 思ったのです。


自分の下での 秀吉の働きぶり

人の上に立つようになっても 偉ぶらないで 

人気者だった秀吉の人柄

そして 機転が利き 行動力のある秀吉

そのすべてを とても信長は気に入っていたのです。

一人の農民が 信長に働きを認められ どんどん出世し 最後には

天下を取り 国を治める・・・

このアイディアは 

秀吉の存在があったからこそ 思いついたものなのです。


そして 信長が理想としていた国作り・・・

青年の頃から 家康 光秀 お濃 と語り合った 

皆が仲良く 楽しく暮らせる世の中を創る・・・

それを やり遂げることが出来るのは 

今までの支配者(武家出身 貴族出身)ではない

民衆の気持ちがよくわかっている下級層出身の秀吉だからこそ

成しうることだと 信じていました。


信長 家康 光秀 そして 秀吉

彼らは 戦国時代に生まれた 

縄文の波動を魂レベルで受け継いだサンカなのです。

そして 信長が描いた 理想の国作りのために書いたシナリオに

協力することを誓った3人の男たちだったのです。


まず 信長が天下をほぼ手中に収める。

光秀が 信長にクーデターを起こし 暗殺。

秀吉が 信長の敵である 光秀を討ち 

信長のやり残した 天下統一を成し遂げる。

家康は 秀吉の後見人として 

理想の国作りのために協力していく。


簡単にいうと このような それぞれの役割を演じたのです!




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敵は 本能寺にあり!

今日の 破・常識!


本能寺の ”敵”は 誰??


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 48


信長の真実の野望! 12


今日は 明智光秀について書こうと思いました・・が、

驚くほど 光秀についての資料がありませ~~ん(汗)

あったとしても すべて推論(何とか説・・)みたいなのばかりで・・

こんなに謎の人物とは 思いもしませんでしたぁ~。

毎回 私は 事前に 歴史を勉強して自分が疑問に思うことを 

いつも質問してるんで~す。

これほど 資料がなければ その質問さえ出てこない・・汗、汗!


なので、ここは さくやさんから聞いた情報を

そのままお伝えしたいと思います。


最初から飛ばしますが・・(笑)

まず 明智光秀は、本能寺の後 豊臣秀吉に殺されてないんですねぇ。

これは 前にも書いたと思いますが・・

殺された・・ということにして、天海和尚という名前で、

陰から 徳川家康の参謀として 結構 長生きしてたそうです(笑)


そして、そして・・びっくりですが・・

信長も 本能寺で光秀に討たれたことにして、

なんか 長野の山奥で 濃姫と ゆったり暮らしてたそうです。

さくやさんによれば 78歳まで生きてたんですって(驚)


そして 天海和尚(光秀)は 家康たちの動きを こっそり

信長に 伝えてたそうですよ~~。


学生の時に 教えてもらった歴史は 何だったんでしょうね???


それで、それで・・一番知りたい事なんですが・・

どうして 信長も 光秀も 実は仲がいいのに こんな手の込んだ、

本能寺の変 なんて事件を起こさなければいけなかったのか??

実は 信長と光秀は 信長が濃姫と結婚した16歳ころから、

友達の様な関係だったのです。


家康も加えて 光秀、濃姫・・この4人で 

いろいろ理想の国について話し合ってたんです。

その後も 光秀は 信長の側近としていつも一緒にいました。

多くの”説”によると 光秀は 信長にずいぶん虐められて 

ひどい目にあわされて、その恨みで 

我慢しきれず本能寺で信長に復讐した・・と言われています。

表向きは それらの”説”の様に思わせたのです・・でも、

その復讐説さえも 信長の計画だったんです。

本当は 仲がいいのだけど、

わざと 虐める芝居をしていたんです。

そして まわりに本能寺の事件を 

信長が悪い・・という動機を付けたのです。

こんなにひどい奴なら 殺されても仕方がない・・

と思わせ、自分が世間から

消えるシナリオを作ったということです。

信長は、自分が世間から消えなければいけない理由があったのです。


”敵は 本能寺にあり”・・という 

ドラマ(シナリオ)を描いたのは、

実は やられた側の 敵・・信長だったんです!


実際 今の歴史学者も なぜ本能寺の変が起きたのか? 

謎が多すぎて誰も本当のことがわからないから 

かなりの数の ”説”があるんですよ^^

興味のある方は 

Wikipediaにも出ていますので ご覧になってください。


次回 本能寺の変・・なぜ、この大芝居が打たれたのか??を、

お話ししたいと思います。




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さくやさんからの メッセージ!

今日の 破・常識!


正義って何?


ある方の素直な気持ちに応えたくなって 

さくやさんに 何かメッセージもらえないか 頼んでみたら、

さくやさんも その方に何か伝えたくなったみたいです。

私は そのメッセージを読み このブログの読者のみなさん、

あなたにも伝えたいと思いましたので 今日は

そのさくやさんのメッセージをお伝えしますね。



>命を奪う行為に「正義」などありえないと思っています。


「もちろん 信長もそう思っていました。

彼も 出来れば戦さなどしたくはなかったのです。

そして 彼は 正義のために戦さをしたのではないのです。

彼は そういう手段しかなかったから せざるを得なかったのです。

もし あのころに 今のような環境 

インターネットなどがあったら違う方法をとっていたかもしれません。


例えば 目の前で 無力な人が大勢で殴られたり 

蹴られたりしているとしてください。

そのとき どうしますか?

信長は そんな時に 黙っていられなくて動くタイプだったのです。

信長は 暴力は良くないことも知っていました。

でも その人を助けるためには 

今 自分が盾になるしかないと思ったのです。

このまま 暴力はいけない・・と、傍観するのではなく、

とにかく 今はその人を助けることが一番である・・と、

暴力(腕力)を使って まわりを止めることを選択したのです。

自分が 一番強い・・と見せることで 

無力な人をいじめる人を抑えることが出来る・・と、思ったのです。 

だから 一番強くなろうと思いました。

ですから 無駄なことはしていません・・

まず、自分の腕力を見せつけ 

相手の戦意を消失させることにしました。

それが 自分が鬼として怖がられるようにイメージさせる計画です。

そして 自分が鬼だというイメージを使って 

戦さではなく 話し合いもたくさんしました。

無駄に 歯向かってこないように、

無駄にけが人を出さなくて済むように・・!!

でも どうしても腕力で向かってくる相手には 

腕力で向き合わざるを得なった。


殴られている人を 何もしないで傍観している・・

と言う選択もできたのですが、

彼は それを望まなかった・・自分が 何とか助けようと思った。

その手段が 腕力(戦さ)だった・・ということです。

彼も 戦さが良い選択ではないことを 重々知っています。

でも 苦しんでいる人民を(支配されている人民を)助けたい・・と、

昔のように楽しい国を創りたい・・と、望んだんです。

そして 彼に出来た(選択)した手段が 戦さだったということです。

彼は 「正義」のために戦さをしたのではありません。

助けるために 自分の持っている能力(腕力)を使ったのです。

彼には 腕力があったから・・

それで、いじめられている人を助けようと思ったのです。

そして、無駄な腕力(戦さ)は使わないと心に決めていました。


信長が 自分の掲げる「正義」のために戦さをしたのではない・・

ということを、理解してください。

ましてや 自分の立身出世などの 

権力欲で戦さをしたのではないということも

覚えておいてください。

自分の 権力欲のために 人を殺す・・

そういう人から 人民を守るために戦さをしたのです。

そのような人たち(自分のために人を殺したり ひどいことをする)

がいなければ、

信長は 決して腕力を振り回したりしませんでした。

これが 彼のできること・・苦肉の策・・だったのです。


そして もう一つ 信長は 

無理やり人々を戦さに駆り立てたのではありません。

彼は きちんとみんなに話をしました。

何故 何のために 自分がこの戦いをするのか・・自分の想いを話し、

そのうえで 一緒にやってくれる人だけで戦さをしました。

だから 彼は強かったのです。

信長に関しては これが真実です。

これが 今よりも もっと粗い波動の 

弱肉強食の世界での限界だったのです。」


このことに関して いろいろなご意見はあると思います。

さくやさんが 信長に戦さをするように 

アドバイスしたわけではありません。

世の中の真実を伝えたのです。

それを聞いて、信長が 自分には何が出来るのか・・ということを考え

選択 行動した事実がある・・だけです。

その歴史の真実を私たちが どのように受け取り 生かすかは

私たちにかかっています。

どのように 情報を受け取るのかは あなた次第なのです。



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