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伊達政宗の美学とは!

今日の 破・常識!


家康は かっこいい!


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 64


信長の真実の野望(家康編)! 26


1603年  徳川家康は 征夷大将軍となり 

武家の棟梁として 地位を確立

1614年  大阪冬の陣

1615年  大阪夏の陣


により 豊臣氏は事実上滅亡


関ヶ原の戦いに勝ったことで 家康は天下を統一し 

その後 征夷大将軍となり 天下人となったのです。

しかし 家康には まだやらなければならないことがありました。

それは 豊臣氏をどうするのか?

豊臣氏は 一大名の位置に転落したとはいえ 

なお特別の地位を保持しており 

実質的には 徳川氏の支配下には入っていなかったのです。

家康は 悩みました。

このまま 豊臣氏を存続させて置くと 

いつか必ず豊臣氏の再興を理由にして

また 権力を欲する大名による争いが起こるに違いないと・・・

家康は もう戦乱の世に戻すことはできないのです。

家康は 鬼となりました。

豊臣氏を 滅ぼすことに決めたのです。

そして 大阪 冬の陣 夏の陣により 豊臣氏は滅亡し

徳川家康の新しい国づくりが始まったのです。


これにより 信長の想いから始まった新しい国づくりのシナリオが・・・

秀吉により 違う方向へ行きかけたシナリオが 

家康の手により 方向修正されたのです。


26回に渡ってお送りしました 

信長の真実の野望シリーズは これで終わります。


次回からは もとの 

テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! シリーズに戻り

江戸時代から 続けていこうと思います。



今日は さくやさんから面白い話を教えてもらいました。

伊達政宗・・・についてで~~す。

この時代の 有名な武将ですよね。

正宗って、カッコイイ(格好いい)を 

追及していた生きていた人物なんだそうですよ。


カッコイイとは、見かけだけじゃないんです。

生きざまに関して 徹底的にカッコイイを追及した人物でした。

それは 他の人の基準は全く関係なく 

彼の中にある”美学”だけが基準なんです。


例えば、彼の中では 

徳川家康は めちゃくちゃカッコイイ存在でした。

秀吉は、生き様が カッコワルイ、

ダサい(女性問題に対して特にそう思っていました)。

信長は 確かにカッコイイんだけど 

彼の中の美学では 家康のほうが

もっと カッコイイ存在だったようです。


正宗は この3人の裏でのつながりは まったく知らないので、

信長の本心はわからなかったから 

信長の冷たさに 美学は感じなかったそうです。


とにかく 家康がカッコイイ!!

カッコイイ家康に 天下を取ってほしい・・と 切に思いました。

ここにも 正宗の美学があったのです。

正宗は 自分を知っていました。

自分の性格、境遇では 

一番手としてセンターに立つのは役不足である。

自分は 2番手として輝くキャラクターだと 考えていました。

自らの器を知らずに トップに立とうと願うのは カッコワルイこと・・

自分が天下を狙うのは 自分の美学に反するのでした。


で、自分が2番手として輝くために 正宗は 一番手としてカッコイイと

認めた家康を 支え 天下を取らせることにしたのです。


慶長遣欧使節を 正宗は派遣しているのですが 

それは 家康に頼まれたそうなんです。

家康は 外国(ナーガ レプティリアン系の国)の

現状が知りたかったのです。

敵を知らなければ 対処法がわからない・・

ということで 正宗に頼みました。

家康は 天下人として 

外国に対して積極的に動くことが出来なかったので、

一大名の正宗に 探ってもらうよう頼んだのです。

ここでも 家康と正宗の関係が良好だったことがうかがわれます。


それにしても 正宗って、面白いキャラクターですね。

自分の美学を徹底して それを貫く・・というのは 

ある意味素晴らしい生き方だと

私は 思います。




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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

関ヶ原の戦い!

今日の 破・常識!


家康のシナリオ通りの戦いになった!


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 63


信長の真実の野望(家康編)! 25


1600年 徳川家康を総大将とする東軍と

      毛利輝元を総大将とし 石田三成を中心とする西軍の

      天下分け目の戦いである


この戦いは 家康のシナリオ通り

無駄な戦いはせず 天下を二派に分け

短期間で終わらせたいと意図していた家康の思い通りに

関ヶ原の戦いは短期決戦により 東軍の勝利!

この戦いにより 徳川家康の天下統一が成し遂げられたのです。


ウィキペディアの資料によれば 東軍 西軍の武将の名前など 

また その武将がどういう立ち位置であり 内通したり 裏切ったり 

詳しく書いてあるので 興味のある方は読んでください。


私は この戦いが単なる権力争いによる戦いではなく 

信長から受け継いできたサンカたちの想い・・

皆が仲良く 平和に暮らせる 新しい国づくりのために

行われた戦いであるという真実をお伝えできればそれでよいのです。

ある意味 サンカとそれに対抗するナーガ系の支配者の

戦いであったと言えると思います。

しかし 家康は その想いは自分の心の中に置き 

表向きは天下を取りたい大名たちの

戦いとして 終わらせたのです。

東軍 西軍に分かれた それぞれの大名たちも どちら側につくか

いろいろな判断があったのだろうと思われます


純粋に その人に天下人になってほしい、

こちら側についたほうが 自分は得だ、

ただ単に 昔から奉公していたから・・・

などなど、いろいろな理由がありました。


結果的に 東軍が勝ち 家康が天下を取ることにより 

この後 江戸時代という

今までの弥生時代からはじまった ナーガ系の支配とは異なる

愛と調和による(縄文時代ほどではありませんが)

平和な時代が 来ることになります。


関ヶ原の戦いについては これで終わりますが、

次回からは 家康が天下人となり 

実際にどのようにして国づくりを進めていったかを

お話ししようと思います。


江戸時代は 封建社会で 武士がとても大きな権力を握り 

農民 庶民を虐げていたように 言われていますが 

それはミスインフォメーションです。

何故 今 江戸時代に対してこのような情報が流れているか・・

というと

今現在 中東で行われているのと同じことが 行われたからです。


江戸時代の封建社会 幕府、武士たちの圧政により 

民衆が苦しめられている・・

だから 封建社会を壊し 民主主義という制度を受け 

民衆を圧制から守る・・という御旗を掲げ 明治維新が起きたのです。

どこかで よく聞く話ですね。


ありもしない兵器を、あると言い張り 

そしてそれを使わせてはいけない・・と、

そして そこの首長は とんでもなく暴君で 

民衆たちはその圧制に苦しんでいる・・と、

難癖をつけ どこぞの関係ない国が正義を振りかざして 突入し 

もっとひどいことになっているのと同じですね。


話しは変わりますが、現在の中東情勢も 

視点を変えれば いろんな真実が見えてくると思います。



虎穴にいらずんば 虎児を得ず・・のたとえの様に、

表では 戦争をしたいと見せかけて 

実は 虎穴の中で光を広めようとしている

勢力もあるのです。

真実を隠そうと躍起になっている支配者層の中に入り 

巧みに反対に真実を暴露する・・という方法をとっています。

何故 こんなにわかりやすく嘘をつくのか??・・

と不思議になることはありませんか?

その不思議に思う気持ちが 真実につながるのです。


今は それが誰か 具体的には申し上げませんが・・

そういう存在たちがいる、ということを知れば 

また情報の見方も変わって来るのではないでしょうか?




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石田三成と淀殿!

今日の 破・常識!


それぞれの思いがぶつかる時!


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 62


信長の真実の野望(家康編)! 25


石田三成は 秀吉の死の直後 徳川家康を暗殺しようとしている・・・

(ウィキペディア より)


と資料にありましたが そんなことはやってないみたいですよ。

どこから そんな情報が出てきたんでしょうね(笑)

ただ 三成は次の天下人の座を狙おうとして動き出した家康に対し

不快感を持っていたのは 事実です。


三成は、秀吉に認められ 

小姓から奉行の一人にまで出世したまじめな人物です。

さくやさんが言うには まっすぐな子・・・だったそうですよ。

秀吉の家臣として 能力を発揮し かなりいい仕事をしてきたのです。

だからこそ 秀吉も三成を認め 

また まわりの大名たちも一目置く存在になれたのです。

だから 秀吉の後継者となった秀頼の家臣として 今までと同じように

豊臣家に仕えていこうと思っていました。

三成は 家康に対し かなり激しいエネルギーで意見をしたそうですが、

家康は 相手にしなかったそうです。


そりゃそうですよね・・家康には 家康のシナリオがあるのですから(笑)


そうして 家康が次の天下人となる動きを三成が察知したことで

二人の対立関係は 激しくなっていたのです。


それと淀殿との関係

秀頼は淀殿と三成との間に出来た子・・・って説があるみたいですが、

これも ウソの情報です。

ただ 淀殿は秀頼の政権を守りたいために 

三成に泣き落としの手を使ったそうです。


淀殿

「私は 親方様の遺志を継いで 

この秀頼が一人前になるまで 助けていきたいのです。

しかし 女子である私だけでは 不安があります。

三成、あなたが秀頼の後見人となって 

秀頼を助けてください・・およよよ(泪)~~」

とかなんとか(笑)


なんだか 私は淀殿に対して 

冷たい表現が多いみたいですが・・・

まぁ、仕方ないですね(笑)


淀殿が なぜこれほど権力欲にこだわるのか?

それは 父である浅井長政の

ナーガ系の家系に問題があるみたいです。

淀殿は 浅井家の大人たちから 没落した浅井家をいつの日か 

また再び 主力の大名として返り咲く日が来るよう 

淀殿にも心して生きていってほしい・・・って、

子供のころからずっと言われ続けて来たらしいです。

だから 淀殿が権力を持つ立場になると 父方の浅井家が権力を

持つことができ 復興できると考えていたのです。

淀殿には 信長の妹である 

母 お市の方のDNAも入っているのですが、

長政のDNAのスイッチを押しちゃったみたいですね。


あ、それと黒い波動(エネルギー)を持った人物がいました。

それは 家康の次に実力があった 安芸国の毛利輝元です。

彼も ナーガ系の支配を好む人物です。

家康と三成の対立を伺いながら 最後に自分が天下人になろうと

虎視眈々と狙っていたのです。

このような 漁夫の利を得ようとする考えで動く人間は 

ナーガ系の人間なのです。


家康が 関ヶ原で戦うことになった西軍の人物たちは 

こういう思いで動いていたのです!



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家康の新しいシナリオ!

今日の 破・常識!


家康、信長と鬼となる覚悟!


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 61


信長の真実の野望(家康編)! 24


徳川家康は動きました!

豊臣家に天下を任せるわけにはいかないのです。

家康の新しいシナリオとは・・・

まず 家康が豊臣家に代わり 天下を治める。

これしかないのです!

信長の思いを実現するために 秀吉を天下人にするため支えてきた

家康自身が、その豊臣家に代わり天下人となり、皆が仲良く暮らせる

平和な国づくりを自らの手で成し遂げなければならない・・・

そう考えたのです。


それを実現するには かなり難しい状況であることも家康は

分かっていました。

豊臣家と対立し 自分が天下を目指すことは 少なくとも天下が

真っ二つに分かれ いずれ戦いになることは想像できました。

しかし その過程を避けては通れなかったのです。

無駄な戦いはなるべくしないように 

仲間を増やしていくことから始めなければなりません。

光秀(天海和尚)にも相談して 

二人で新しいシナリオを作り 動き始めたのです。


家康は まず自分の想いを各大名に伝え 

理解してもらわなければならないのです。

家康は 考えました。

信長の想いを引き継ぎ 理想の国づくりを進めるために

私が 天下を取る・・・とは 決して言えないんです。

家康は ごちゃごちゃ説明が要らないシンプルな話に決めました。


家康・・・ 

「私は 信長公、秀吉公 亡き後 

昔からの夢であった天下人になりたいと思います。

信長公 秀吉公には 家臣としてお仕えしましたが、

豊臣秀頼の家臣として

お仕えするつもりは ありません。

私は 順番を待っていたのです。

次は 私が 天下人となり この国を治めます。」・・・と!


家康は 一番最初に秀吉の正室である 北政所(ねね)に会い

自分の想いを伝えたのです。

ねねは 家康の目をじっと見つめながら 彼の言葉に耳を傾けました。

ねねは 信長とも親しい間柄で 

家康のことも昔からよく知っていました。

家康の言葉を聞きながら 

彼の本心の波動(エネルギー)を感じていたのです。

家康が 権力欲のために動く男ではないことは 

ねねは 心の底からわかっていたのです。

だからこそ 家康の天下人になりたい・・

という思いを受け入れ支持したのです。

家康は ねねの心遣いに感謝の気持ちでいっぱいでした。


家康は 精力的に動き 話が出来そうな大名たちに 

直接 思いを伝えていきました。


そして 1595年に 秀吉により禁止と定められた 

大名家同士の婚姻を行うことで 自分のまわりを固めていき

近い将来 必ず起こるであろう天下分け目の戦いに備えたのです!



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徳川家康の本音!

今日の 破・常識!


家康「これは困ったぞ!どうすればいいんだ!この俺は!」


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 60


信長の真実の野望(家康編)! 23


豊臣秀吉の死後 内大臣の徳川家康が朝廷の官位でトップになり

また 秀吉から「秀頼が成人するまで政事を家康に託す」という

遺言を受けていたため 五大老筆頭と目されるようになったのです。


この情報は 光秀(天海和尚)により 織田信長の耳にも

すぐに伝えられえました。

信長は ただ黙ったまま一言も話すことはありませんでした。

信長は 自分の想いをすべて秀吉に託していたのです。

秀吉が シナリオ通りに動かなかったとしても それは仕方のないこと。

それを知ったからとて 何か行動を起こすことはしませんでした。


信長は 裏で院政を引くために 姿を消したのではないのです。

戦国の戦乱の世を治め 皆が仲良く暮らせる平和な国を創るために

自分は鬼となり 天下統一のために奔走し 最高のタイミングで

秀吉に後を任せ 身を引いたのです。


今の信長には ただ黙って世の行く末を見守ることしかできないのです。

その信長の想いを 理解していたのが家康と光秀でした。

そして 光秀も今では 光秀としての存在を消し 

天海和尚として生きている。

家康は 信長のシナリオが違う方向へ進んでいくのを 

ただ黙って見ている訳にはいかなかったのです。

修正するには 自分が動くしかない、

自分しかいない・・と思っていました。


秀吉が 秀頼を後継者と決めたときから ずっと考えていたのです。

豊臣の家臣として、五大老のひとりとして 

秀吉に秀頼の後見人になってほしいと言われた時 

表向きは周りの手前 承諾せざるを得なかった。

秀吉と二人きりで信長のシナリオについて、後継問題について、

話したかったのですが、そばにいつも淀殿がいて そのタイミングもなく

また 秀吉もその話題に触れるなよ!

という波動(エネルギー)を出していたので

どうすることもできませんでした。

秀吉は 家康に対し 信長のシナリオを修正して

 秀頼が後継者になることを認め

その秀頼の後見人として助けてやってくれ・・・

と暗に要求していたのです。


家康は 秀吉の死期がそう遠くないことを感じていました。

だから 表向きは秀吉の意を汲んだことにしたのです。


しかし 内心は・・・

イヤぁ~~、こりゃ困ったことになったぞ!

この後 どうすれば

信長のシナリオに沿ったものに修正できるのだろうか?

これが その時の家康の本音です!


そりゃ 困りますよねぇ~~、

信長のシナリオ通りに行くのには あと一歩のところだったのですから。

血筋で その家に生まれた子だから、

後を継がせる、いや 継がせたいと思う親心・・・

それが その時代の普通の考えで 

常識だったのに違いないのですから・・・


いくら後ろについている淀殿が 困ったもので 

この先に不安の要素があったにしろ 秀吉の遺言通り 

秀頼が後を継ぐのが当然だと思っている家臣が大多数なのですから・・


でも、家康は考えたのです。

このまま 秀頼が後をついで 国づくりを進めても

弥生時代から続いてきた

ナーガ系の支配体制の世の中に戻ってしまう。

何としても これは避けなければならない・・と。

そして 信長のシナリオに少しでも近づけるために 

今の自分に出来ること、最善の方法を考え、

動かなければならない・・・と!




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