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秀吉の禁教令!

今日の 破・常識!


秀吉は 信長よりも激しい性格!


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 58


信長の真実の野望(秀吉編)! 20


1593年 側室の淀殿が秀頼を産むと 秀次との対立が深刻となり

秀次の「殺生関白」と呼ばれたほどの乱行を理由として 

高野山へ追放、のちに 謀反の容疑で切腹を命じられた・・・

とされる秀次事件  (Wikipedia より)


秀吉が 鶴松が病死したことで 後継者に指名した秀次。

そして 淀殿が秀頼を産んだことにより 

再び起こった秀次との後継者問題。

すべては 秀吉がわが子に後を継がせたい・・

と思ったことにより 起こったことなのです。


が、すべては 淀殿の策略だったのです。

秀吉の実子として 鶴松を産んだことで 

その母として権力を手に出来ると思った淀殿だったのですが 

鶴松が病死したことにより 秀次が後継者になってしまった。

面白くない淀殿は 再び秀吉の実子(?)秀頼を産んだ・・・

そして 秀次の存在が邪魔になったのです。


そこで 淀殿は 秀吉が嫌っていて 

そのうちに排除されることになるであろう

キリシタンの宣教師たちを 密かに秀次に紹介したのです。

その時 秀次は秀吉のキリシタンに対する思いを知らなかった。

実際 秀次は 秀吉のことをとても慕っていて 

謀反などこれっぽっちも考えてないし

とても 性格のいい人物だったらしいですよ。

だから 淀殿の策略に引っかかって 

キリシタンの宣教師と仲良くしました。

そのことを 淀殿が 秀吉に箴言したのです。

「秀次は キリシタンと組んで 秀吉に謀反を企ててるみたいで」

・・・ってね。

秀吉は 淀殿には弱かったから その箴言を受け入れ調べてみると

秀次が キリシタンと交流を持っている事実を知り 激怒したそうです。

だから 秀次に切腹を命じた・・・これが 真実です。

完全に 淀殿の策略にはまったということです。

また 資料には 補佐役 妻子 側室たち 

39人がむごい処刑をされたことに

なってますが そんなことはやっていないそうですよ。


キリシタンに関する事件としては・・・

1596年に起こった サン=フェリペ号事件と 

1597年の26聖人処刑 があるのですが・・・


土佐国にスペイン戦が漂着 秀吉の唯一のキリスト教徒への

直接的迫害(日本26聖人の殉教)のきっかけとなったとされる。

漂着した船員たちを 町内に幽閉し 所持品をすべて没収 

航海日誌などの書類をすべて破棄した。

そのことに対し 秀吉に直接抗議しようとした船員が 

都に行ったのだが 交渉の仲介を頼もうとしていた

フランシスコ会など スペイン系の宣教師たちが

捉えられていて、その後 処刑されることになった・・・

(Wikipedia より)


とあるのですが・・これも あっち側の記録ですね。

土佐国の人々は スペイン船が漂着したとき 

人間として礼を尽くし 客人として助けてあげたのです。

しかし 船員たちは ペルー、メキシコ、フィリピンを

武力制圧してきた経験から

日本も同じように自分たちの植民地となり 

国民は奴隷になる運命だと勘違いしていたのです。

だから 助けてくれた土佐の人々に対しても 無礼な態度をとり

荷物を触っただけで 腕を切ったりしたそうです。

元々 信長からキリシタンの本当の目的は 

日本を侵略し植民地にすることだと聞いていたので、

このスペイン人たちの態度を聞いた秀吉は 

危機感を持ったそうです。

今までは 信長の言うように

いきなりキリシタンの宣教師を排除するつもりはなく

少しづつ関係を切っていこうと思っていたのですが、

この事件により そんな悠長なことをしていたら 

ペルー、メキシコ フィリピン

と同じように 日本も武力で制圧されてしまうと考えました。

秀吉は 激怒したのです。

だから すぐに禁教令をだし

都で宣教活動をしていたキリシタンの宣教師を捕え 

処刑することにしたのです。

これは キリシタンたちの本拠である

レプティリアン系の国々に対しての

秀吉の強い意思表示だったのです!


これまでの秀吉を見ていると 

信長より 激しさを感じますねぇ~~~。



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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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