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破・常識 あつし

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忍者とは!

今日の 破・常識!


忍者の起源は 陰陽師だった!


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 86



今日は 忍者についてさくやさんに聞いてみました。

前回の記事の 葛飾北斎について調べてたら 北斎忍者説・・・

ってあったので 期待してさくやさんに聞いてみたんですけど・・・

「違う」って!

芭蕉のように、北斎にも裏の顔があるんじゃないかと思ったんですけど

北斎は 絵を描くことだけが本当に好きだったそうです、残念ながら(笑)


で、忍者と波動(エネルギー)の関係ですけど、

忍者の仕事(?)で 一番大切なことは

「自分の気配を消す」ってことだと思います。

つまり 自分の波動(エネルギー)を消して 

他の者に存在をわからないようにするのです。


戦国時代から 主に江戸前期にかけて 

忍者は敵の情報収集のために大名に仕えていました。

その頃の武士は 「気を読む」とか、

「殺気を感じる」みたいな言葉があるように

気を敏感に感じる者が多かったので 

忍者も気配を消すのが大変だったと思います。

敵の陣地や 城に忍び込み 情報収集するのに

人の気配(波動エネルギー)を感じながら動き 

そして 自分の気配(波動エネルギー)を消すことが

上手な忍者だけが活躍できたのです。


奈良、平安、鎌倉時代に 陰陽師が存在したんですけど

忍者は その陰陽師からの流れで出来た一派だそうです。

陰陽師については 

過去記事 裏日本史・・物の怪との関係をごらんくださいね



ナーガ系の呪術師だった陰陽師は 宇宙種族のナーガ(半身蛇族)に

波動(エネルギー)的な特殊な封印方法や 呪術を教えてもらって 

自分たちの都合によって排除していたのです。

しかし 時代が変わり 鎌倉時代の終わりころから 

精霊や物の怪たちの存在を

見えたり 感じたりする人間たちがだんだん減っていき

戦国時代になると ほとんどの人が精霊や物の怪たちの存在を

感じなくなってしまったのでした。

それにより 陰陽師が活躍する場が減り 

忍者へと流れていった一派が 増えていきました。

資料によると 71流 とか 31流 の

忍術流派の説があるみたいですが

その中でも 甲賀や伊賀を本拠としていた忍者集団は有名ですね。

陰陽師の持っていた特殊な呪術も時代が変わり 

その時に必要な術が代々伝えられ 戦国時代には 

スパイ活動に必要な忍術が残ったということです。


話は 変わりますが・・・


ハロウィーンって レプティリアンの悪魔の儀式なんですよ。

一般的には 秋の収穫を祝い、

悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事と

されていますが、実は まったく逆で魔を呼び出す儀式なんです(驚)


ここで宇宙種族による 

見えない存在に対する考え方の違いをちょっと・・

まず ドラコニアンに教えてもらっている

日本人の捉え方は、共存共栄です。

自然を愛し 尊敬する考え方は 

見えない存在(精霊、物の怪)にも同じように

尊敬の念をもって 棲み分け、共存 をしてきました。


ナーガ系の民族は 排除を主としていました。

自分達以外の存在は 必要のないものとして 排除するという考え方で、

陰陽師などが出来ました。


レプティリアン系の民族は 見えない存在

(ここでは 精霊や物の怪というよりも

異次元の存在、言うなれば魔の存在)

とのお互いの利用契約という形になります。

異次元の存在(魔)の力を借り 

この世を支配するために 契約をするのです。

すべては 契約です・・ですので 西洋社会は契約の社会なのです。

魔を利用する契約の 

こちら側の見返りは いけにえと言われるものです。

いけにえの儀式・・これは西洋には いまだにたくさん残っています。


ちょっと 重くなりましたが 

皆さんにこういう情報も 知っていただきたいと思い 

書かせていただきました。


日本では まぁ、商業ベースで西洋の文化を輸入し 

日本人にこの文化をカッコイ良くて楽しい物の様に思わせ 

西洋文化に憧れを持たせるようにしているのですね。

若者たちは 深い意味など考えないで 

楽しんでいる分には全然かまわないんですけども・・

こんなところにも 支配者(レプちゃん系)の 

私たちの波動を下げようとする意図が

隠されていることを知ってほしいと思います。




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葛飾北斎の能力!

今日の 破・常識!


北斎は 目に見えるものを描いていなかった!


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 85




江戸時代の人間って クネクネしていたそうです!・・

な~~んてね(笑)


すみません 冗談です!


さくやさんに聞いたところ 

江戸時代に そういう書き方が流行っていただけだそうです(笑)


北斎って かなりぶっ飛んだ人物だったみたい(笑)

人生において 93回も引っ越したことがあるそうです。

一日に 3回引っ越したこともあるそうです。

「汚れた衣服で机に向かい 近くに食べ物の包みが散らかしてある。

娘も そのごみの中に座って絵を描いていた」

「9月下旬から 4月上旬までは こたつに入り続け 

どんな人が訪れようとも 絵を描くときも こたつから出ることはなく

疲れたら横のまくらで寝るし

目が覚めたら絵を描き続ける。昼夜これを続けた」

などの証言が残っているそうです。


さくやさんにも 北斎について教えてもらいました。

北斎って 超感覚の持ち主だったそうですよ。

その能力とは・・・

瞬間記憶能力・・っていうんですかね、

見たものを 一枚の写真として記憶出来るんです。

瞬間記憶能力については 現代では いろんな説明がされていますが、

北斎は 自分が残したい瞬間、自分の感性にあった瞬間、を

意識して その瞬間を写真の様に記憶することが出来ました。


だから 写生をしなくても 自分の記憶の中にある写真をみながら

いつでも絵を描くことが出来たのです。

その写真をみながら 構図や色は 

北斎の感性で自由に表現されていました。


北斎の絵が 現代でも人気があるのは 

個性的な能力と 個性的な表現が

見事に調和された作品に 

魂が揺さぶられる人々が多いからではないでしょうか?


江戸時代の文化については、

過去記事

松尾芭蕉の本当の顔

江戸時代の美術!

も合わせてお読みくださいね



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江戸城についての真実!

今日の 破・常識!


縄文系の発想を学ぼう!


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 84


江戸城について さくやさんに教えてもらいました。

江戸時代になって 江戸城と姫路城を設計した人は 

同じ人物だったそうですよ。

別に 意図的に「対」にして 作ったわけではないそうです。

詳しくは 後ほどお話ししますね。


まずは 江戸城について・・・

15世紀の関東の騒乱で 江戸氏が没落した後 

扇谷上杉氏の上杉持朝の家臣である

太田道灌が 1457年に江戸城を築城。

1590年 豊臣秀吉の小田原征伐の際に開城。

秀吉によって 関八州を与えられて

駿府から転居した徳川家康が入城し 居城とした

1603年 家康が江戸開府して以降は

天下普請による江戸城の拡張に着手

天下普請とは 江戸幕府が全国の諸大名に命令し 

行わせた土木工事のこと 中でも 城郭普請が有名

道路整備や 河川工事など インフラ整備などの工事も含んでいる

                (Wikipedia より)


関ヶ原の戦いに勝った徳川家康は 

信長の夢であった縄文の波動を持つ新しい

国づくりのために 新しい政治の中心の場として江戸を選んだのです。

それまでは 政治の中心はほとんどが京都、もしくは その近辺で

ナーガ系の波動が強い土地だったので 

家康はそれを嫌い関東の地で 新しい国を進めたかったのです。

ま、鎌倉時代に鎌倉が中心になった時代もありましたけどね・・・


関東は 関東平野が広がる気の流れのよい土地でした。

気が滞ることなく 気持ちよく流れる土地に 

この国の中心をもって来たのです。

そのためには 江戸城を改築する必要がありました。

家康は 波動(エネルギー)を読み 自然との共生を考えられる人物に

城と町の設計を 任せたのです。

さすがに その人物の名前などは わかりませんが・・


土地には 人の身体と同じように気の流れがあります。

それを 建物によってさえぎってしまうと 気の流れが変わってしまい、

人間の身体でいう不調のようなことが起きてきます。

江戸時代の考え方は 自然を使わせていただく・・というものです。

たとえば 川の流れを利用し 水車を動かし

人々の生活に使うという考えです。

主体が 自然です

それに対し ダムを作り水をせき止め何かをするというのは 

自然をコントロールする考え方です。主体が 人間です。

両者には 大きな違いがあります。


江戸の町は 前者(水車)の考え方で 設計されました。


ですので、明智光秀が風水にたけていて それを助言したということは

無いみたいですよ。

風水に関しては ここでは触れませんが・・・


そして 日本の城と外国の城の違いも さくやさんが教えてくれました。

日本の城は 公共性が高く その地域のシンボル的なものとして 

人々に愛されました。

日本の城は 守られているという安心感を目的としていたのです。


外国の城は プライベートに重点がおかれ 

王侯貴族の家的要素が強く、

その人達の権力などの象徴として 建築されていました。

この城には 支配者への畏怖を感じさせる目的がありました。


また 街の作りもまったく反対です。

外国の街のまわりには 城郭が築かれ 市民を囲い込んでいました。

これは 市民はその城主の持ち物である・・・

という考え方がもととなっています。

どこかの敵に攻め込まれた時の籠城の際に 

市民も巻き添えになる構造です。

これは 自分の財産(市民)を 誰にも渡さないということです。


反対に 日本の街には 城郭はありません。

街は 囲い込まれることが無く 

何かの際には自由に逃げることができます。

城に籠城して 敵と戦うのは武士だけということです。

武士は 命をかけてその城を守る・・市民を守るという覚悟がありました。


これだけを見ても日本と外国の波動(エネルギー)の違いを感じますね^^




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江戸時代・・切腹の概念!

今日の 破・常識!


海外の人々には ほとんど理解できない日本人の精神性!


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 83



補足と言ったらなんなんですが

暴れん坊将軍を見ていて気になったところを

さくやさんに聞いてみました。


まず 江戸時代の ”切腹”というものについてです・・・

江戸時代の人々 特に武士たちは 

命を粗末にしすぎる というように

海外では思われているみたいですが・・

ここが 江戸時代の日本文化と 欧米の文化の違いなんです。

命というものの捉え方の違いですね。


日本の文化では 命よりも 

自分の信念の方が大切にされていたのです。

身体を生きながらえさせるために 心(精神)を曲げるというのは

その頃の日本人には 特に武士にはあり得なかったのです。


生きるために 死ぬ・・という考え方でした。

自分の考え、信念をとても大切にしていた武士は 

その信念を守ることが 武士の誇りでした。

例えば 自分の死を持って 主君をいさめるための切腹、

何か誤解をされた時に 弁解をすることは

武士として恥ずかしいことなので、

自分の死をかけて 誤解だと知らしめるための切腹、

すべての責任を自分が負うから 水に流してほしいと訴える切腹、


このように いろいろな理由の切腹がありました。

これらは 今 思われているような”自殺”ではなかったのです。

生き恥をさらしてまで生きることはない・・

心を生かすための死 だったのです。


これは 日本の武士の美学でした・・

このころの武士は 戦国時代の伊達政宗の様に

自分の中のカッコイイを貫くことに それこそ命をかけていたのです。

誰が何と言おうと 自分のカッコイイを貫く人々だったのです。

そのためには やせ我慢も 結構していたみたいですよ(笑)

武士は食わねど 高楊枝・・みたいな(笑)


そして 他にも 無礼討ちなどと言って

庶民を問答無用に切りつけることが

武士には許されていたという話ですが・・

一応 無礼討ちはあったそうですが、

ほとんど そんなことはされませんでした。

だって 小さなころから 寺子屋などで庶民の子供たちと育ち、

そして 大人たちから 武士は 庶民を守らなければいけない、

それが武士の役目だ・・と教えられて来た人達が 

そんな理不尽なことをするはずがないのです。

これは 一応 武士の対面を傷つけると 

厄介なことになるから気を付けなさい・・と、

庶民に知らしめるために 作った掟のようです(笑)



それから テレビドラマ 時代劇で将軍吉宗が 「成敗!」とか言って、

悪代官、悪大名を 有無を言わさずやっつける場面がありますが・・

これもありません(笑)

だって まず 将軍がそんなところに いることはないですからね(笑)


そして 悪いことをしても 

誰かの単独の判断で成敗されることもありません。

身分にかかわらず 必ず 

評定所で取り調べをしてから 刑が確定します。

大岡越前のドラマとかもあるように 

裁判官のような人たちもいたのです。

だから そんなに武士が無茶苦茶は出来ません。


このように 江戸の人たちが

命を軽く扱っていたということは なかったのです。


時代劇は 面白いですが・・

こういう情報も知って見るともっと楽しめますよね~~

時代劇を 10倍楽しく見る方法・・・ナ~~ンてね(笑)



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江戸時代・・東北飢饉の真実!

今日の 破・常識!


江戸時代 餓死した人はいない!


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 82



江戸時代の飢饉で 餓死した人はいないそうですよ・・

普通に村に暮らしていれば、

飢饉が起きても 幕府の貯蔵米が支給されていました。

身売りの話にしても 今の時代劇で言われているような

悲惨なものでは 無かったそうです。

ある意味 出稼ぎの奉公のようなものでした。

男女の性に関しては 江戸時代は今よりももっとおおらかで 

オープンなものだったから

時代劇のような 女性が常に泣いている・・

みたいなことはありませんでした。

江戸の男の人たちは 結構 女性に優しかったんですよ~~(笑)


では なぜ このような東北の飢饉で 多くの農民が犠牲になった・・

みたいな情報ばかりなのか??


東北地方は 米どころとして 国を支える大切な産業を担う人たちとして

幕府では大切にされていました。

でも 確かに  江戸や大坂のように 大きく派手な商人たちが

あまりいませんでしたので、そういう意味では地味な印象はあります。

現金を必要とした人たちは 

江戸など大きな都市に出稼ぎに来ざるを得なかったから

苦しい、つらい、悲しい・・というイメージが出来たのではないでしょうか?

若い女性たちも 出稼ぎという形で 

遊郭などの花街に奉公したりしていましたから・・


しかし これについても 辛さや悲惨さばかりが 

時代劇でクローズアップされているに過ぎません。

江戸時代を 庶民が幕府の圧政に苦しんだ時代にしたいという

意図を持ってドラマなどは 作られているからです。

これに関しては 以前からお話ししていますが・・

明治維新を庶民の解放!という

位置づけにしたいからです。明治維新バンザイ論!ですね。

中東の国にも同じような事が見受けられますよね。

とても優秀なリーダーなのに、

どこぞの大国になびかないからという理由で、

そのリーダーが圧政をしている独裁者だ・・と、

マスコミなどがそろって世論を誘導し

他の国がその虐げられている国民を解放する・・というシナリオ!

このシナリオが 江戸時代と明治維新にも使われている・・

ということです。


遊郭だ、花街だに身売りしてかわいそう・・ひどい政治が行われている・・

なんていったら、はっきり言ってしまえば 

明治維新以降の資本主義バンザイの中で

行われていた 女工哀史「あぁ野麦峠」や 

「蟹工船」のほうがよっぽどひどいと

私は思いますけどね。


例えば ちょっと昔の日本の会社は 社員を大事にしていました。

社長にとって社員は家族同然と思い 

若いころから退職するまで責任を持って

一緒に働いていました。

厳しさももちろんありましたけど 

人としての尊厳は大切にされていました。

これが まぁ、江戸時代的な感覚ですよね。


それが 今はどうでしょうか?

ブラック企業と言われる会社がたくさんあります。

特に 派遣社員の扱いは 

本当に「蟹工船」の中のようではないですか?

朝早くから終電近くまで 働いても 自分ひとりが食べていくにも精一杯。

結婚して 子供を持つなんて余裕はないです。

これが 明治維新で日本に入って来た 資本主義と言われるものです。

人よりも まず企業の利益が優先なのです。


ちょっと違う視点ですが・・

今 就職活動に悩む大学生が多いそうです。

約2割が 自殺を考えたと答えています。

これも ???ですよねぇ~~~。

これも 就職しないと 

自分はこの社会では生きていけないと思い込まされて

しまっているってことですよね。

企業に 就職しなくても 生きていくことは出来るのに・・

っていうか、わざわざ自ら進んで「社畜」にならなくてもいいのに。

いま 若者の中で

「使い放題・・正社員」という言葉がはやっているそうです。

正社員は 残業代も出さなくていいから 

朝から晩まで使い放題・・という意味だそうです。

本当に 訳が分からないひどい社会です。

若者の使い捨てです!

こんな 若者を大切にしない社会は 先が見えていますよね・・

江戸時代の様に 260年も続かないですよね(苦笑)


すみません・・熱くなってしまいました(笑)


あと 江戸時代の風習である 

切腹についてもお話ししたかったのですが、

変なところで熱くなってしまい 

長くなってしまいましたので また次回にします。



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